2025-01-03 風通し
仕事の合間に稽古をして体に風を通す。
耳で本を読みながらゆるくほどいただけだけど悪くなかった。
読んでいる本には孔子の弟子が出てくるのだが(実在の人物だけれど話自体はフィクションも含まれている)そのひとの在り方は私が忘れていた大事なことを思い出させてくれた。とはいえこんなにねじれて押し潰してしまったあとでは素直なわたしが残っているかどうか疑問だ。
翻訳家の平野氏のnoteを読んだ。多くの職人が失われつつある今への危機感が切実に書かれていた。私もこの数年このことについては悔しいような、怒りを伴うような焦りを抱いていて、どこかに表したい気持ちがありつつ私の文章力では誤解を与え棘だけをばらまくことになりそうで悶々としていたことでもあった。
例えば日本のある種の大工さんはもう取り返しがつかないほど減ってしまった。水面下で技術の伝承が不可能になった分野は多くある。もちろん日本に限らずフランスだって同じこと。フランスの水道管は徐々にプラスチックのものに変わりつつある。昔のように銅管を溶接する工事より何倍も簡単で早いから。でも新しい管は銅のように殺菌作用がないので3週間もバカンスに行って水を止めておけば雑菌が大量にわくことになる(なぜこの管が衛生面で認められているか疑問だが)。でもお客さんも安くて簡単な工事を求めるし、昔ながらのこだわった丁寧な仕事をすれば「高い」などと文句を言われる。こうして水道管溶接の需要がなくなれば若い人たちはそれを学ぶ機会が失い、技術はあっというまに忘れられる。
問題は便利な道具それ自体にのみあるのではない。むしろわたしたちがそれぞれの倫理をいかに裏切っているかなのだと思う。